books, plamts & spine

本を読むこと、観葉植物を育てるのが好きです。たまに整体みたいなこともやってます。https://kido2mail.wixsite.com/home

本の紹介|ユダヤ人は、かつて被害者であったのに、なぜ加害者となるのか?

分かれ道 -ユダヤ性とシオニズム批判-

ジュディス・バトラー 著, 大橋洋一、岸まどか 訳 青土社2019.10

ユダヤ人は、かつて被害者であったのに、なぜ加害者となるのか?

ユダヤ人国家・イスラエルの建国は、ナチスによるホロコースト(ショアー)の後に実現しましたが、その思想的基盤はすでに19世紀末からのシオニズム運動にあります。シオニズムは、ヨーロッパにおける激しい反ユダヤ主義への防衛的な応答として生まれ、「ユダヤ人が自らの国家を持つことで安全を確保しよう」とする運動でした。

たしかに、ホロコーストはこの運動の正当性を強め、イスラエル建国(1948年)を大きく後押しする出来事でした。しかし、国家を築き維持・拡大していく過程で、シオニズムは排他的・軍事的な側面を強め、他の民族、とりわけパレスチナ人に対して抑圧的な態度を取るようになっていきました。

イスラエルを批判することが「反ユダヤ主義だ」と糾弾される風潮のある中、ジュディス・バトラーは、自らの民族がかつて被害者だったという記憶が、現在の加害行為を正当化する「道徳的な盾」として機能してしまっていることを鋭く批判します。バトラーはこうした思考停止に対して、「ユダヤ的倫理とは、他者の苦しみに最も敏感であることだ」と強調します。

本書では、苦しみの記憶を「連帯」へと変えていくには、どんな語り直しが必要か?ユダヤ思想の系譜や哲学的思索を通じて問い続けます。

読書で出会った、「知らなかった私」の部落フェミニズム

『部落フェミニズム』エトセトラブックス2025/3/24

 (著) 熊本理抄 編著、藤岡美恵子・宮前千雅子・福岡ともみ・石地かおる・のぴこ・瀬戸徐映里奈・坂東希・川﨑那恵

「知らなかったこと」から始めてみよう。

部落に生まれ、女性として生きる-

その重なりの中で経験する差別のことを。

この本は、誰かを責めるために書かれた本ではありません。

「なぜ声が聞こえなかったのか?」

その問いを、読者とともにやさしく考えていこうとする本です。

いくつもの「誰か」との対照の中で形づくられている「わたし」を見つめ直す。

その構造物の一つひとつを、誰かを理解するてがかりにする。

交差性を生きる彼女たちのことばは、

わたし自身のいる場所と、きっと遠くない場所にある。

そんな出会いのきっかけを感じさせる一冊。

 

本書『部落フェミニズム』は、日本における部落差別とフェミニズムの交差性を深く掘り下げた一冊です。
タイトルからは、1970年代のアメリカで誕生した「ブラックフェミニズム」を想起させますが、驚くべきことに、部落女性たちの運動はそれよりもはるか以前――およそ100年前から始まっていることを知りました。

ブラックフェミニズムとは、人種差別・性差別・階級差別などが複雑に絡み合い、黒人女性に独特の抑圧をもたらす構造を指します。
この抑圧は、一つひとつを切り離して論じることができず、**交差性(intersectionality)**という視点で理解する必要があるとされています(ウェブより)。

本書は、この「交差性」の考え方を、日本社会に根深く残る部落差別と女性差別に重ね合わせながら、過去から現代までを丁寧にたどります。

基礎知識のない私でも「なるほど~」とうなずきながら読み進めることができましたよ。構造的な視点で書かれているので、おのずと一歩引いた位置から全体を眺められ、心が追いつめられることはなかったです。

「このテーマ、ちょっと苦手かも」と敬遠してきた方にも安心しておすすめできる一冊です。表紙デザインもどこかポップで手に取りやすい。

夏に読みたい本!『夏への扉(ハヤカワ文庫SF)』

ロバート・A・ハインライン(著) 福島 正実(訳) 早川書房 2020/12/03

文章は一人称で語られ、どこか村上春樹の”僕”を思わせる文体。ストリー性はあまり感じない。だけど主人公の人柄に強く惹かれる。抜群に頭が切れるのに、お金儲けにはまるで無頓着、技術屋でもあり発明家、そして愛猫家の一面を併せ持つ(飼い猫のピートの勇敢さと言ったらもう!ぜひ確かめて!)――そんな主人公。

タイムループを題材にした物語だが、終盤にありがちな「モヤモヤ感」がまとわりつくことはなく、カラッとした真夏のような読了感。性的描写がないのもGOOD

読み終わり、本を閉じたとき、「夏への扉」がわたしの心にひらかれるような気がした。←キザ

表紙絵のまめふくさんのイラストが素敵☺

 

画像出典:早川書房公式サイト



胸キュン、サーカスを舞台にした恋と魔法のファンタジー小説

The Night Circus   (著)Erin Morgenstern

19世紀後半から20世紀初頭のロンドンを舞台に、魔法使いの男女が織りなすファンタジーとロマンスの長編小説

そのサーカスは、ある日突然現れた。
昨日までは何もなかった空き地に、気がつけば巨大なテントがそびえていた。予告なんて誰も聞いていないし、なんの告知もなかった。「本書より」

サーカスを舞台に繰り広げられるこの物語の主人公は、若き魔術師マルコとセリア。二人は幼い頃からそれぞれ異なる流派の老魔術師(←父権的で嫌な性格)のもとで育てられ、みっちりと魔術を仕込まれる。理由は一つ。勝つために。誰に?もちろん相手に。そうです。サーカスは彼らの弟子たちを競わせるために設えられたものだったです。

戦いのルールも勝負の判定も知らされないまま、サーカスの幕は切って落とされます。巧妙に練られたイリュージョンは観客を魅了し、サーカスには連夜長蛇の列ができるまでに賑わいを増していきます。

しかし、観客が見ているのはただのイリュージョンではありません。それは、巧妙に隠された魔法なのです。

 

サーカスは世界各地を巡りながら、夜ごとに観客を魅了していきます。

そんな中、マルコとセリアは互いに惹かれ合い、サーカスという虚構の世界から抜け出して、二人で新しい人生を歩みたいと願うようになります。

そんなとき、サーカスの均衡が静かに崩れ始めます。周囲の人間を巻き込みながら事態は思わぬ方向へと展開しいくのです。

この物語は、ファンタジー、ロマンス、そしてポップコーンの香り、ワクワクする要素がぎっしり詰まった長編小説です。

魔法使いたちの華麗な戦い、禁断の恋の行方、そしてサーカスの謎。ページをめくるたびに、読者を飽きさせない展開が繰り広げられます。

正直、ツッコミどころもいろいろあります。  
でもそれすら、この世界の魅力のひとつ。キュンしたら、もう勝ちです。

さあ、ポップコーンの香りとともに、この物語の世界に入り込んでみませんか?

ree

ガジュマルの剪定、それから・・・

4月も終わる頃、少しフライング気味でしたが、ガジュマルの剪定を行うことに。置き場所が日陰だったせいか、ずいぶん徒長しています。

ばっさりといきました。切り口の保護は木工用ボンドで代用しました。

このまま捨ててしまうには惜しい気がします。しばらく水差しに入れておくことにします。

剪定してから10日目、薄緑色のポツポツが見えて来ました。葉っぱがない分、水やりは控えています。根腐れだけは絶対に避けたいです。

2週間が経過しました。幹が逞しくなったように見えます。

6月6日現在の様子です。ガジュマルの剪定は初めてで、このまま芽が出てこなかったらと気が気でありませんでしたが、葉っぱも生まれ変わってきれいになったし、幹も逞しくなったりで、して良かったです。

 

それから約1年後

4月22日現在、新潟はまだ寒い日があり、気温が安定しません。大きめの葉を少し残して剪定しました。念のため。。。

アレッポの石鹸、届きました。

アレッポの石鹼

アレッポの石鹸は、シリア第2の都市アレッポの特産品で、1000年以上も前から作られている伝統的な石鹸なのだそうです。

主な成分はオリーブオイルとローレルで、とてもシンプルです。原料から製品に至るまで、動物実験は一切行っていないと紹介されています。2024年12月には、ユネスコの世界無形文化遺産にも登録されたそうです。すごいですね!

製造過程の動画を見ると、本当にすべて手作業で行われていて、とてもアットホームな雰囲気です。こんな職人の方々が丁寧に作っている石鹸なら、絶対また買いたくなりますよね。

https://aleppo-no-sekken.com/

動物を通して知る、“私とは何者か”を

抵抗する動物たち:グローバル資本主義時代の種を超えた連帯

サラット コリング (著), 井上 太一 (翻訳) 青土社 2023/2

資本主義の搾取にさらされながらも、動物たちは沈黙してはいない。本書『抵抗する動物たち』は、動物たちの「意志ある行動=抵抗」に光を当て、彼らを単なる被害者ではなく、主体的な存在として描き出す。動物解放の哲学を軸に、世界に広がるさまざまな抑圧がどう絡み合っているのかを見つめ直し、動物・人間・地球すべてを視野に入れた「総合的な解放」をめざす研究の書です。

動物が意思を持った存在であることを知ったとき、自分の動物への接し方が、そのまま人間関係をも映し出していることを認めないわけにはいかなくなります。

たとえば、ペットに対して「エサをやる」「撫でてやる」「褒めてやる」「散歩をしてやる」など、愛情のつもりで行っていた行為のなかにも、「してあげている」というパターナリズム(父権的な支配)が潜んでいることが分かります(これは、傲慢で抑圧的な態度であり、心の成長を妨げるものです)。

そしてそれは怖いことに、動物に対してだけでなく他者全体に向けられるようにパターン化されているはずなのです。

動物にも意思があり、感情があり、選ぶ力がある――そう認めることは、「生きている他者を、一人の“誰か”として尊重する」ことにつながります。つまり、「かわいがる」のではなく「関係を築く」、「してあげる」のではなく「共にある」ことを目指す姿勢です。

近年では、フェミニズムやケア倫理の分野でも、「ケアの関係性は、人間と動物を分けずに捉えるべきだ」という主張が広がっているようです...。

「生き物を大切にしましょう」ということは、誰もが知っている当たり前のことです。 本書の著者は、その当たり前を超えて、動物の「抵抗」という現象を社会的・政治的な文脈でとらえ、動物たちを正義の闘争における当事者として捉え直そうと試みています。そんな日本では馴染みのないテーマを、日本語話者の琴線に触れるような言葉で訳し出した訳者の手腕は見事という他ありません。